グエン・キム・ガン
経済的に恵まれない家族で生まれ育ったグエン・キム・ガンさんは、貧困から抜け出すために全力で勉強し、日本で経済学博士として企業のサプライチェーンの強化や日越技術移転などの支援に尽力。また、非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」の仙台支部長として社会貢献活動にも従事している。
Japanese
経済的に恵まれない家族で生まれ育ったグエン・キム・ガンさんは、貧困から抜け出すために全力で勉強し、日本で経済学博士として企業のサプライチェーンの強化や日越技術移転などの支援に尽力。また、非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」の仙台支部長として社会貢献活動にも従事している。
夢をかなえる努力の先に
日本との出会いがあった
経済学者のガンさんは、陽気な笑顔を浮かべながら日本へ渡ったきっかけを語る。
「小学校から高校までの間、友達が寝ている時間に、母を手伝うために早朝4時に果物を市場へ運んだり、放課後の5時からは市場でバナナやランブータンなどの果物を売ったりしていたので、いつも洋服が汚れていました」
小ぎれいな格好で果物を買ってくれる銀行員たちの姿を見て、「将来は銀行員になろう」と決心。必死に勉強してホーチミン市銀行大学を卒業した後は、晴れて銀行に就職した。
「子どもの時の夢が叶ったのに、生きがいはどんどんなくなってしまいました。信用調査部で働いていたとき、サプライチェーン管理が弱い企業をサポートしようにも知識が少なく何もできなかった経験から、サプライチェーンの知識を身につけるという新たな目標ができたのです」
大手日系企業で働く兄から日本の教育環境の良さを聞いたガンさんは、日本留学の機会を探し始めた。奨学金に何度申し込んでも落ち続けたときは、日本のことわざ「継続は力なり」を思い出して挑戦し続けた結果、ついに奨学金を受けて東北大学への入学が実現した。
「現在は大学院経済学研究科の助教として講義を担当するほか、サプライチェーンの研究も行っています。この分野の専門家になるために、一歩一歩進んでいるところです」
日越の経済交流や技術移転の促進という3つ目の大きな夢もできた。
「日本で暮らすうちに日越の架け橋になりたいと思うようになりました。現在は経済交流の促進に向けて、ベトナムのビジネスサプライチェーンに関する日本企業向けのセミナーの準備を進めています。将来は日越技術移転センターの実現にも関わりたいと思います」
日本人の教授の言葉で
困難を乗り越える
日本で研究職を極めていくことは簡単ではないものの、日本人教授が彼女の苦労や困難を支えてくれている。
「研究関連のことで落ち込んだ時や、自信を持てないで悩んでいた時、川端望教授がいつも私の考えと夢に耳を傾けてくださって。具体的にご指導と励ましの言葉をいただいたおかげで、それらを乗り越えることができました」
教授が教えてくれた「やってみないと分からない」の言葉は、ガンさんの座右の銘の1つだ。
「失敗とは、目標を達成できないことではなく、簡単にあきらめることや挑戦しようとしないことなんです。郊外でバナナを売っていた少女でさえ、日本の大学の助教になることができました。どんな夢も、努力と忍耐を重ねることで実現できるはずです」
日本でベトナム文化も発信
日越の経済交流の発展を願う
研究職に加えて、ガンさんは日本のベトナム人留学生が立ち上げた非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」の仙台支部長も務めている。
「仙台市で暮らしているので東京にいる兄に会う機会は少なく、友達はほぼベトナムに帰国したので寂しいと感じることがありました。『ベトアジ』への参加で在日ベトナム人と繋がったことがきっかけで、ベトナムの味の魅力を日本人に届ける活動をしています。ベトナム料理教室の開催やベトナム料理本の出版などを通して、ベトナムの人、生活、文化、歴史などを紹介しています」
日本とベトナムの架け橋の1つとなるべく研究職と社会貢献活動で尽力しながら、日越の経済交流の発展を願う。
「50年にわたるベトナムと日本の協力の成果にお祝いを申し上げます。今後、ベトナム人材がより日本の経済に貢献し、日系企業がベトナムへの投資を強化していくことを強く願っています」
2014年に東北大学院経済学研究科に入学し、日本学生支援機構 (JASSO)、公益財団法人小林財団 、JTアジア奨学金、文部科学省(MEXT)国費外国人留学生奨学金を受けた。2020年に同大学院で博士号(経済)を取得。東北大学の「プロミネントリサーチフェロー」受賞。現在、経済学研究科の助教、非営利団体「BETOAJI」の仙台支部長。 |
画家
VTV4日本語番組編集者・アナウンサー
ブロガー/「ベトナムリアルガイド」運営